思想家 遠藤道男 思考録

文明の自己免疫疾患について — あるいは道徳的優越性という名の毒素

文明というものは、ある種の免疫系を必要とする。外部からの脅威に対抗し、内部の秩序を維持するための防衛機構である。しかし時として、この免疫系そのものが暴走し、自らの身体を攻撃し始めることがある。医学的にはこれを自己免疫疾患と呼ぶが、今日の西欧文明が陥っているのは、まさにこの状態である。ポリティカル・コレクトネスとリベラリズムの名のもとに展開される道徳的純化運動は、もはや文明を守るための機能を逸脱し、文明そのものを内側から食い荒らす病理と化している。

啓蒙主義以降、西欧は理性と進歩の名のもとに世界を席巻してきた。植民地主義、帝国主義、そして現代のグローバリズムに至るまで、西欧的価値観は普遍的真理として世界中に輸出された。しかし21世紀に入り、この文明は奇妙な自己否定の渦に巻き込まれている。かつて誇りとした歴史は恥辱の記録として書き換えられ、文明の基盤となった価値観は抑圧的な権力構造として断罪される。この現象を単なる反省や自己批判として理解することは、事態の本質を見誤ることになる。これは文明が自らの存在理由を否定し、自己消滅へと向かう病理的プロセスなのである。

ポリティカル・コレクトネスは、当初は社会的弱者への配慮という善意から出発した。しかし、それは急速に道徳的純潔を求める宗教的熱狂へと変質していった。言葉狩り、思想統制、キャンセルカルチャー — これらは中世の異端審問を彷彿とさせる現代の魔女狩りである。皮肉なことに、寛容を説く者たちほど不寛容であり、多様性を称揚する者たちほど画一的な思考を強要する。彼らは自らを進歩的だと信じているが、実際には最も原始的な部族主義的衝動に突き動かされている。善と悪、味方と敵という二元論的世界観は、彼らが批判してやまない宗教的ドグマと何ら変わるところがない。

この自己免疫疾患の最も顕著な症状は、西欧文明が培ってきた批判的理性そのものの自己破壊である。客観性、論理性、実証主義といった概念は、今や「白人男性的」な抑圧装置として糾弾される。感情が事実に優先し、アイデンティティが論理を凌駕する。大学という知の殿堂は、もはや真理の探究の場ではなく、イデオロギー的純化の工場と化している。学問の自由は「安全な空間」の名のもとに制限され、異なる意見は「暴力」として排除される。知識人たちは、かつて彼らが守るべきだった理性の砦を、自ら進んで破壊している。

さらに興味深いのは、このリベラルな自己否定が、結果として最も非リベラルな勢力を利することになっているという逆説である。西欧的価値観への執拗な攻撃は、それに代わる価値体系を提示することなく、ただ空虚を生み出すだけである。そしてその空虚は、より原始的で、より権威主義的な価値観によって埋められることになる。寛容の名のもとに不寛容な文化を受け入れ、多文化主義の名のもとに自文化を否定する。この自己矛盾は、もはや滑稽を通り越して悲劇的ですらある。

ドゥルーズはかつて、資本主義を「脱領土化」の運動として分析した。しかし現代のポリコレリベラリズムは、それとは異なる形での脱領土化を推し進めている。それは文化的、精神的な根を断ち切り、浮遊する個人を大量生産する運動である。伝統、慣習、共同体といったものは、すべて個人の自由を制限する桎梏として否定される。しかし根を失った個人は、より巨大な権力 — 国家であれ、企業であれ、あるいはイデオロギーであれ — に対して無防備になる。自由の名のもとに進められるこの脱領土化は、実際には新たな形の隷属を準備しているのである。

この文明的自家中毒の行き着く先は明白である。自己否定の論理は、最終的には自己消滅以外の帰結を持たない。西欧文明は、自らが生み出した批判精神によって自らを解体し、やがては歴史の舞台から退場することになるだろう。それは外部からの征服によってではなく、内部からの崩壊によって実現される。ローマ帝国の崩壊が蛮族の侵入によるものではなく、内的な腐敗と活力の喪失によるものであったように、現代西欧文明もまた、自らの手で自らを葬ることになる。

しかし、この過程を単純に悲観的に捉えるべきではない。あらゆる文明には寿命があり、誕生、成長、爛熟、そして死という循環を免れることはできない。西欧文明の自己免疫疾患は、その生命力が尽きつつあることの証左である。新しい何かが生まれるためには、古いものが死ななければならない。ポリコレリベラリズムは、意図せずして、この必要な死を加速させる触媒として機能している。彼らは自らを進歩の担い手だと信じているが、実際には文明の葬儀屋なのである。

問題は、この死の後に何が来るかである。より野蛮な、より原始的な世界への退行か、それとも全く新しい文明の誕生か。歴史は直線的に進歩するものではなく、螺旋を描きながら展開する。西欧文明の自己破壊は、人類史における一つの実験の終焉を意味するに過ぎない。その廃墟の上に何が築かれるかは、まだ誰にも分からない。確実なのは、現在進行中の自己免疫疾患が、この移行を不可逆的なものにしているということだけである。道徳的優越感に酔いしれる進歩主義者たちは、自らが歴史の終焉ではなく、単なる一つの終わりの始まりを演じているに過ぎないことを理解していない。彼らの勝利は、実は彼ら自身の墓標なのである。

作成日: 2025年7月10日